介護離職への道(29)四十九日
四十九日
四十九日の法要、納骨をするために帰省しました。もう、有休休暇もほとんどなくなりました。あっと言う間に四十九日になりました。塔婆はどうしたのだろうなどと考えていました。弟が良く頑張ってくれ、四十九日に合わせて必要な処理をしてくれていました。お寺さん~香典返しなども処理してくれていました。
当日はお寺で法要です。私が小さい頃の昔は自宅に住職さんが来ていましたがお祖母さんが健在な頃までです。その後はお寺さんへ行っています。祖母の時と比べると人も減ったし、皆がかなりの年寄りです。親父の兄妹も一人しか来れませんでした。寂しい感じは否めませんでした。
お寺は鎌倉時代からだと記憶していましたが、なんと天平時代からとのことです。詳しくはわかりません。その時代の瓦が出て来たそうです。敷地に大きな楠があります。叔父さんが楠を見て風蘭が付いていると言ってました。確か、祖母の時も同じ事を言ってたなと思い出しました。祖母の時の記憶には無いのですが、よく見ると楠の幹の祠が彫られていました。その場所に小さな仏像がありました。どの時代に誰が作ったのだろうと思いました。
お寺の本堂でお経をあげてもらいました。お坊さんは住職と息子さんの二人で唱えてくれました。お墓への納骨には息子さんが付いて来てくれました。まだ若い人です。私は何をどうして良いのかわからないので言われるままに進めました。納骨が終わりました。
歩きながら若いお坊さんに聞いてみました。仏教系の大学とか出てるのですか?修行とかはやっぱり高野山に行くのですか?・・・高野山では4年間も修行したそうです。
弘法大師に食事を出すそうですが、本当に食べていると聞いたような気がしますがどうなんですか?・・・
私は食事を出すような高僧でなく、修行だったので知りませんがそんな噂はあるようですね。と返答があったことを覚えています。
無事に納骨も終わって、あとは会食です。少し時間がありました。天気は汗ばむほど晴て良かったので桜を見に行こうと言うことになりました。枝垂桜を見に行きました。ちょうど満開の時期でした。花見のため田舎のわりに人が多く来ていました。遠方に住む叔父さんが、先月に送ってくれた香典に同封されていた手紙には、「四十九日の頃は桜がちょうど満開だろうから皆で連れて行ってあげて下さい」と書いてあったのを思い出しました。
会食後、一同で実家に戻り仏壇に手を合わせた後に解散となりました。弟が準備で一番、大変だったと思います。やれやれでした。私が帰省している間は、弟を休ませようとその後は自宅に帰らせました。
残ったのは母親と私。がらんとして寂しい感じでした。母親は目力が無く呆けが進んでいるような気もしました。一人になってしまい寂しいだろうなと改めて思いました。弟も疲れただろうし、やっぱり帰って来ないといけないのかと思いました。定年前の離職が近づいて来ました。
※メモ
仏事は良く分かりませんが、実家に行くと線香だけはあげてます。当時は49日が過ぎて気分的には落ち着いたように思います。ただ、その後は離職を考えるようになりました。会社に入るより辞める時の方が労力がかかります。何度か転職しているのでそう思います。