介護離職への道(21)葬儀
納棺~葬儀~出棺・火葬式~お迎え・初七日法要
立続けにありました。分からないことばかりです。葬儀屋さんが頼りです。以下は羅列になります。
納棺
親族だけで納棺しました。おばあさんの時、こんなのだった?ほとんど覚えていない。葬儀屋さんの言う通りにするだけでした。白装束・・・六文銭。「迷わんと行きや」と誰かが言ってました。叔父さん?私もそう思いました。「六文銭」は通行費らしい。いつもかぶっていたキャップ帽を入れてあげました。棺の蓋を親族が順番に自然石で釘打ちしました。葬儀屋さんの言うままに進んで行きます。
葬儀
葬儀、家族葬にしたこともありますが、さすがに親父の知り合いも減って少ないようでした。長生きしたと言うことでしょう。それでも数人が焼香に来てくれました。母親は面識あるようでしたが、私は面識のない人ばかりでした。親父の同級生の友人は背中の痛みで座れないとのことで、引き戸前で焼香していただきました。
お経の途中に弟の数珠が切れました。数珠が古かったのでしょう。数珠がばらばらと転がりました。やってしまったって感じでした。後で嫁が言うには親父さんが最後に会いに来たのだそうです。
私の友人が一人、焼香に来てくれました。中学生からの友人です。出棺までいるとのことでした。前々からいろいろ相談していた友人です。新聞に載ればわかる。その時は葬儀に、と言ってくれていました。
そいつの顔を見たら、安心感か?泣きそうになったことを覚えています。どうにか我慢をしましたけれど。
出棺
位牌を持って・・・歩く、横でお坊さんが念仏?を唱えながら払っていました。霊柩車に載せ、出棺前の挨拶。人が少なければ「挨拶無し」の予定だったのです。が挨拶をする羽目になってしまいました。できるだけ短い文面にしていたにも関わらず途中で声にならないくらい大泣きしてしまいました。こんなに大泣きするとは自分でも予想外でした。やってしまいました。後日、友人に「そんなものだよ」と言われました。
位牌を持って霊柩車リムジンに載りました。火葬場はすぐそこです。運転手(通夜~打合せの葬儀屋さんの担当者)に大泣きしてしまったといいました。大丈夫です。もらい泣きしたとの事でした。葬儀屋さんでもそんなことがあるのだろうか?と思いながら出発しました。
火葬式
親父の兄妹、3人中1人、皆、年老いて来れません。他の兄妹は入院のお見舞いで1週間前くらいに来てくれているので、既にお別れはしているのでしょう。お坊さんがお経を・・・焼香しました。棺が火葬に入る。仕方がないことだけども。また少し泣きそうになりました。小一時間の待機です。親族が順番に骨を拾う・・・骨だけになってしまいました。足、・・・喉仏、頭。骨上げと言うらしい。
空?、無?・・・と言った感じでしょうか?。少し、心が晴れた?
祖父母の時の感覚、印象とかなり違いました。私、自身が年老いたこと、自分の人生も半分以上は進んでいることが分っているからだと思います。残り半分以下。叔父さんが「宇宙に行ってしまった」と言ってました。「宇宙」・・・。
お迎え~初七日
火葬式が終わったら直ぐに初七日の法要です。地域によって違うと思います。昔と違い簡略化されているのでしょうか?よく分かりません。
お経の合唱で・・・ほとんど誰も唱えてませんでした。弟の嫁だけが少し唱えているのが聞こえました。横をチラ見すると弟がウトウトしている?寝てる?あとで聞いたらやっぱり少し寝てました。臨終からあまり寝ていないので、かなり疲れていたのでしょう。やっと、ひと段落した感じだったのでしょう。私も疲れていました。
親族を残して、私と弟が実家に戻り簡易な祭壇を設置しました。葬儀屋さんが一緒に来て祭壇を作成して、位牌などを所定の場所に設置してくれました。四十九日まですることをいろいろ教えてくれました。
塔婆
亡くなった日の前日から数えて一週間ごとに祭壇に立てて行くそうです。7日×7つの塔婆で四十九日になります。意味はわかりません。他にもあったような?ぐるぐる渦巻線香を絶やさず焚く・・・もう忘れました。
当面の問題は四十九日、仏事は全く知らないので言われるようにこなして行くしかありません。大半は地元にいる弟に託すしかありません。祭壇の設置が終わったので親族と会食しました。祖父母の頃と違って、本当に親族が集まっても人数は少ないです。若干、寂しい気もしました。仕方が無いです。もう高齢で遠方から来られない人も多いです。親父の話も混じって、雑談しながら夕食を兼ねた会食~散会となりました。今日で初七日の法事まで終わりました。ほんの少しだけ落ち着いたのかも知れません。
※メモ
悲しさも忘れてバタバタと熟して行くだけ。その方が何も考えず良いのかも知れません。