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介護離職への道(19)親父が逝く

親父が逝く

金曜日でした。会社帰りにビールとつまみを買いました。
ガソリンを入れてる途中で電話が入りました。叔母さんからです。親父が危ないので、母親に会わせた方が良いのではないか、とのことでした。母親は一人で歩くのが大変な感じになっていました。帰宅したら電話します、と一旦電話を切りました。早く帰宅しなければと思いました。

運転しながらいろいろ考えました。
先日はお医者さんから「さらに強い痛み止めを使用すると~2日くらいと考えてください」と聞いていました。そのため最後は病院から直接電話が来ると考えていました。最後に間に合うだろうか?看取れるだろうか?明日の天候は?飛行機の予約?新幹線では?・・・グルグルと考えていました。

さらに叔母から電話が入りました。
親父が危ない、弟に連絡が着かないとのことでした。「運転中なので・・・後、数分で着くので」と電話を切りました。自宅に着いた時、少し雪が降ってるのに泣きながら駐車場で待っている嫁さんがサイドミラーに映っていました。

親父が亡くなったとのことでした。
帰宅、18:00 親父が逝きました。担当医と面談のため帰省していた実家から戻ってたった10日、危篤の連絡も無く。親父が逝きました。実際にはもう少し早い時間だと思います。

まだ、弟に連絡が着かないらしい。肝心な時に役に立たない携帯電話です。職場に掛けるしかないと考え、電話をしました。やっと弟が捕まりました。「僕から叔母さんに連絡して母親を連れて行ってもらうので、直ぐに病院へ行って」と頼みました。

私は、この時間ではもう身動きできできません。
どうしようもないです。明日の飛行機の方が早いです。飛行機の予約は運良くとれました。天候もどうにか大丈夫な感じでした。

弟が病院に着いて電話が入りました。
何をどうしたら良いかさっぱり分からないようでした。叔母さんはどうしているのだろう?とっさに、祖父さん婆さんの時にお世話になった葬儀屋さんを思い出しました。今はシャッター通りですが、うちの店もあった商店街通り奥に葬儀屋さんがありました。そこに電話すればいろいろ世話をしてくれるだろうと。その後は葬儀屋さんがいろいろ世話をしてくれたようでした。明日、帰る旨を弟に再度連絡しました。

病院から直接に電話が掛かって来ると思っていました。
そのため本当に突然の親父の死でした。最後の看取りは叔母さん。仕方がないです。弟も母親も私も、家族が看取ってやれず、とても悲しい気がしました。もう少し先の話です。そのためか葬儀の挨拶で大泣きしてしまいました。

思い返すと、
この時点でもまだ現実味が薄かったかも知れません。何故でしょう?やや現実逃避も入っていたのでしょうか?

※メモ
実際に遠方に住んでいる人はどうしているのでしょう?看取れない可能性は高いと思います。一度しかないのです。とても残念な事です。看取れる人は運が良いのかも知れません。