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片辺草紙(15)給食

一番、最初に「さとう」くんが泣いてました。
もう50年以上前の話しです。
「さとう」くんは、いつも鼻水を垂らしてたような気がします。
今で言うと、いじられキャラだったかも知れません。
仲良しだったと思います。

小学生の頃です。
何をやって怒られたのか?覚えてません。
給食前に立たされました。3人?4人?覚えてません。
女の先生だったです。確か名前は「なかの」だったような?
「さとう」くんも、ひらがなでしか浮かばないです。

先生が「泣いたら給食を食べても良い」と言いました。
さとうくん・・言われてすぐに泣き出しました。
先生が「さとうくんは泣いたので食べても良い」と・・。
さとうくんは給食を美味しそうに食べてました。
先生に泣かされて、さとうくんがかわいそうに思ってました。
ぼくは、おなかも減って無かったです。泣くか?食べるか?・・
「食べなくてもいい」・・
そのまま、ずっと立ってました。その後、どうなったのか覚えてません。
先生が根負けして食べてもよいと言ったように思います。
食べたかどうか?覚えてません。

それ以後の「さとうくん」の記憶は無いです。

書いていると、いろいろ思い出します。
小学校の給食の食器はアルミ製だったと思います。
あの美味しくない牛乳・・今思えば、きっと脱脂粉乳だったです。
非常に嫌いでした。臭いし、生ぬるい?熱かった?
表面に膜を張って気持ち悪かったです。

給食の脱脂粉乳を調べると..
1950年半頃から牛乳に切り替わり始め、1970年代前半まで提供していたそうです。

もともと牛乳は嫌いだったのです。
高学年くらいには瓶の牛乳になったように思います。

中学校ではテトラ紙パックの牛乳でした。
展開図が、高校入試?何かの試験に出たと先生が言ってたので覚えています。

さとうくんの家は小学校から東、ぼくは西でした。
離れていたし、低学年だったので小学校以外では会うこと無かったと思います。
進級してからは同じクラスでなくなったので、話す機会が無くなりました。
中学校で「さとう」くんに会った記憶がありません。
きっと転校して行ったのだと思います。
あの「さとう」くん。今は、どうしているだろう?