介護離職への道(15)元旦のパニック
元旦のパニック
今年、2020年もあと1ケ月少々です。新型コロナウィルスで不安な状態で年が暮れそうな気がします。まだ仕事もせず、巣籠状態です。実家の婆さんに惣菜やら日用品を買って持って行く、ゴミ出しと掃除程度です。感染する可能性はあまり無さそうです。
遡ります。2018年の正月が来ました。例年のように初詣の準備をしていました。その時、電話が掛かって来ました。固定電話に。嫌な予感がしました。叔母さんからです。大晦日は弟が不在だったので、替わりに叔父さんが実家に泊まってくれたそうです。
朝方、親父がベッドから滑り落ちたそうです。朝なので新年早々です。抱え上げようとした叔父さんの腰がやられて、動けなくなってしまったそうです。その状況で叔母さんが電話をかけて来たようでした。叔母さんは少しパニック状態です。後ろで救急車の音がしていました。
そんな中、話を聞いていると、どうも叔母さんが気にしてることは、親父と母親を二人っきりにするのが心配でどうしたら良いか分からない、二人を捨ておいて叔父さんについて病院に行けない、とのことでした。
こちらも頭をくるくる回して、介護サービスを受けている小規模多機能施設に電話することを思いつきました。ただ、正月、元旦の朝9時、大丈夫だろうかと。
デイサービスだけの通所施設からシュートステイ、訪問介護も受けられるように小規模多機能施設に変更していました。そこに直接電話をしてみました。
状況を説明して、親父をショートステイで預かってもらえるようにお願いしてみました。職員を出して迎えに来てくれるとのことで安心しました。小規模多機能施設に変更しておいて助かりました。
叔母さんへ直ぐその旨を電話で伝えました。叔母さんも安心して叔父さんの運ばれた病院に向かいました。明日、精密検査しないとわからないが骨には異状ないとの連絡があとで入って安心しました。
新年早々、叔父さんに大迷惑を掛けてしまいました。認知症が入っている親父は何も覚えてないかも知れません。段々と親父の認知症は進んでいます。もう介護のプロでないと対応できないと思いました。
小さな子供と違って、大人を抱きかかえるのは無理だと思います。親父は悪くなることはあっても良くなることはたぶん無いと思っていました。悪くなるペース、下降速度を少しでも遅くしてあげたいが、その術は分かりません。新年早々、大変でした。当日、親父を迎えに来てくれた介護施設の職員さんに感謝しました。
2日は何も無く・・・・過ぎました。
3日は弟から電話が来ました。参ってる感じでした。ショートステイ中の親父が施設から自宅に帰ると言い出したそうです。仕事中の弟に連絡が入ったそうです。仕事を切り上げて迎えに行ったようです。電話口では、特に何か話すわけでもないのに、なかなか電話切ろうとしません。「何も出来なくてすまん」と言ったら、「何をしたら良いか言って欲しい、話を聞いてくれるだけで良い」との返事でした。そんな年明けでした。
認知症になってもある瞬間は覚えているのかも知れません。その瞬間だけ突然思い出すのかも知れません。私は直接、親父からは聞いていません。母親が散歩の途中で階段から転落したことを「自分が全部悪い、あの階段を上がらなければ良かった」と私の嫁さんに電話で言っていたそうです。また、叔父さんの件も分っているようで、「叔父さんは大丈夫か」と弟に聞いていたそうです。この2件は精神的に非常に堪えたのではないかと思います。親父はここからさらに急降下で老いて行きました。
※メモ
できるだけ介護のプロに任す、お願いした方が良いと思います。認知症でもある瞬間、瞬間はフラッシュバックするのかもれません。