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介護離職への道(10)最後の年末帰省

最後の年末帰省

年末、年始よりクリスマスの時期に帰省してくれると助かるとのことで、少ない介護休暇を二日使って帰省しました。少し先の未来から俯瞰すれば、そこそこ元気な親父を見た最後の帰省になりました。この時点では思いもしなかったことです。

前日、弟から電話がありました。「親父がかなり進んでいるのでびっくりしないように」と。両親が元気な頃と違い、帰省するのも気分が重かったです。朝、7時に出発して実家に着いたのは夕方の4時くらいでした。疲れます。少し、前にデイサービスから帰って来たようでした。会った瞬間に親父は弟が言うようにさらに進んでいる感じがしました。前回の帰省からたった2カ月しか経っていないのに。母親はまあまあ元気そうでした。

かなり前に亡くなったおばあさんが、夕食時に私を見て「どなたさんですか?」って言ったのを思い出します。ちょっとショックで「ばあちゃん呆けているのか?」って言ったように記憶しています。当時は「認知症」と言う言葉も知りませんでした。親父はまだそこまで言いませんでしたが。

その頃の親父を見ていると厳しい?怖い顔つきになることがありました。なんと表現したら良いのかわからないです。ただただ雰囲気が違うのです。人の認識力が落ちていたのかも知れません。今思えば、認知症の特性なのでしょう。さらに、オムツもするようになっていました。前回の帰省、2カ月前までは普通だったのに。私は経験していないのですが、弟が言うには「大便」をトイレで漏らし、踏んだスリッパでそのまま歩いたことが何度かあったそうです。たった2か月で。

その日は、リビングのソファーで寝てました。それで分かったのです。親父が夜中に何度もトイレに行くようになっていました。15分毎くらいで頻繁に。そのせいでほとんど寝られなかったことを覚えています。「さっきトイレに行ったよ」と言うと少し立ち止まります。しばらくこちらを見て、焦点が合っているのか?何も返事せずに、そのままトイレに行ってすぐに帰って来る。その繰り返しです。漏らしているのか、親父もトイレもすごく臭いました。当時は分かりませんでした。たぶん頻繁にトイレに行くのも認知症の特性なのでしょう。

こんな状態で弟は良くやっていると感心していました。やらざるを得ないのだろうけど、それだけでは出来ないと思います。少なくても親父の状態は悪化しても回復は見込めないのがはっきり分かりました。このまま親父の状態が進めば弟、叔母さんが疲弊するレベルになって来そうだと他人事のように考えていました。

本当に急に衰えて行きました。近くにいないので現実味が薄かったです。私は何もまともな苦労も出来はしなかったのです。その後悔があります。何か一つで良いから、何かしてあげたかったです。

結局、この帰省がギリギリ元気だった親父を見た最後になってしまいました。周りの友人が先に逝って不安もあったと思います。以前に頭が呆けないと不安で逝けないのかも知れないと考えたことがあります。実際はどうだったのか分かりません。もう少し前にもっと話を聞いてあげれば良かったと思ってます。

※メモ
認知症になるとちょっと怖い顔になるように思います。誰か分からないから警戒するのかも知れません。