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介護離職への道(05)延命措置

延命措置

2017年6月末のことです。親父の呆けが進む中、母親が散歩中にコンクリートの階段から落ちて骨折し、救急車で運ばれました。その旨の電話が掛かって来ました。仕事中でした。

1050km離れているので、何もできません。状況が少しづつ分って来ました。左手首の複雑骨折、頭は大丈夫らしい。「コンクリートの階段から落ちて、よく頭を打たなかった、右利きなので左手でまだ助かった、打ち所が悪ければ、取り返しがつかないところだった」と思いました。
しかし、誰が救急車を呼んでくれたのか不思議でした。想像ですが、たぶん親父は、その場でびっくりして、成す術も無く、立ち尽くす、だけだった、と思います。後から分かった話です。たまたま落ちるところを見た近所の人が救急車を呼んでくれたそうです。母親の頭の方は、まだ、しっかりしていたので、近所の親戚の叔母さんの連絡先を言ったそうです。母親はそのまま入院、親父は一人で自宅に。その後、いろんなことを叔母さんが世話してくれました。

叔母さんと弟の話では、母親の骨折の手術は問題無く、大丈夫とのことでした。何日か過ぎて、親父が軽い肺炎を起こしました。そのため、母親と同じ病院で入院することになりました。この入院から二人とも急激に老化が進みました。二人同時に、となると大変です。この先、両親、私、弟は、本当に叔母さんに助けられました。

2017年7月中旬に、親父が入院したこともあり、急遽、帰省することにしました。帰るだけでも1日掛かりで遠すぎます。夜、弟が空港まで迎えに来てくれました。車に乗って実家に向かいます。よほど、早く話したかった、気分が重かった、のだろうと思います。車に乗って直後に「親父は軽い肺炎で大丈夫だと思うが、仮に悪い方向に進んだ場合、延命措置をするか?しないか?、をお医者さんに返事しないといけない。どうしたら良いか?」との話でした。そんなに悪いのか?、こちらも聞いてショックでした。その場では「しなくてよいと思う、けど、少し考えよう。母親にはこのことは言わないでおこう」と答えました。

翌日、中学校からの友人に相談?愚痴?を兼ねて会いました。その友人は救急関係の仕事をしています。延命措置の話を聞いてみました。「お前らが決めること、だけど、やめた方が良い」とのことでした。「テレビでよく見る胸を押すような人口呼吸は肋骨が折れて肺に刺さって出血する。すごく痛い。人口呼吸器など、付けてしまうと途中で外せない。外せば殺人みたいになるので」そんな要旨の話をしてくれました。その話を、弟にもしてお互い納得して病院へ行きました。

見舞いに行って驚いたのは、親父より母親の方でした。それも骨折の状態ではありませんでした。目に力なく、ボーっとしてました。こんなに急に老いる?呆ける?そんな状態でした。びっくりしたのを通り過ぎて、涙目になりそうでした。やっぱり入院するとダメなんだと思いました。早く、自宅に返した方が良いと思うけど、面倒を見る人がいないのです。親父の方は咳が止まるまで点滴をするとのことでした。それでも見た感じは、しっかりしていました。たぶん大丈夫だと少し安心しました。退院のタイミングは弟と叔母さんがお医者さんと相談して決めることになりました。

これから、二人同時になので両親の件は大変になります。弟が一番大変になると思いました。退院後は弟が実家から職場に通うようになりました。近所に住んでいる叔母さんには、お願いするしかなかったです。この時点から親父が亡くなるまでの期間は、ずっと「1年あまり」と、思っていました。メモを見ながら、確認しながら書いてます。今ごろ、わかったのです。「たった、半年くらいだった」と、その錯覚に驚いています。

しばらく後で、聞いた話です。私の嫁が親父と話して「あの土手の階段を登らなければ良かった。そのせいで、あんなことになってしまった」と聞いたそうです。認知症(この時点ではまだ診断は出てません)でも、ショックなことは残るのでしょうか?。すごく気にしていたようです。そのせいで、自らの寿命を縮めてしまったような気がします。何も悪いことを、親父はしていないのに。

※メモ
年老いての入院は一気に老化が進むようです。何かあった時、助けてくれるのは親戚かも知れません。