介護離職への道(04)安定剤
安定剤に注意
今思い出すと、先に記した2015年ATMの件ぐらいから、親父の老いが進みそうだと思っていました。
80才になっても、グランドゴルフ、パソコンもそこそこ使え、メール、年賀印刷、写真整理をしたり、いろいろ多趣味でした。
それが、なぜ認知症になったのか、避けようがなかったのか、よく分かりません。
ただ、私なりの解釈があります。
一番大きかったのは睡眠のための薬だったと思います。
何度も「飲むのを止めろ」と帰省する度に言ってたのですが、止めませんでした。
精神安定剤?睡眠薬?うつ病の薬?のようなものじゃないかと思います。
何故、そんな薬が出ているのか?、
たぶん「眠れない」とお医者さんに言っていたようです。
「昼寝もしてるのだから、夜に眠れなくてもいいじゃないか、どうしてもしないといけない用事もないから時間はいっぱいあるだろう。眠たい時に寝たらいいじゃないか」と、親父にかなり言ったことがありましたが、止めませんでした。
医者が出した薬を飲んでいる、それだけで安心するのだろうと思います。
そんな薬を飲み続けた結果、朝の散歩もいかなくなり、ソファーに座って、一日中、何もせずテレビを見ているようになりました。しかし、妙なもので三度の飯、風呂、就寝は、ほぼ毎日、同じ時間のルーティンは崩れませんでした。
その頃は、まだ弟が月1回くらい様子を見に来る程度でした。来ても数時間しかいませんでした。
弟に「親父がかなり呆けてきていると思う」と言ったら、当時は「そうかなあ。普通だけど」って言ってました。
そのころは、まだ受け答えはしっかりしてたからでしょう。
私は、帰省すればずっと家にいる日が一日はありました。朝、夕、夜の状況を見ていました。数時間だけ切り取った場面しか見ていない、弟にはわからなかったのだろうと思います。
少し前までは、私が土産を買いに行くときには、母親と3人で一緒に行ってました。だんだんと親父は「行かない」と言うようなりました。やる気が無い面倒な気分だったのだろうと思います。
今、思えば、この頃に介護認定を受けさせれば良かったと思います。
要するに、もっと早く介護認定を受けさせ、自宅に籠らないように、デイサービスなどを活用させれば良かったと思います。ただ、きっと親父は嫌だと言って、認定は受けなかっただろうと思います。
まだまだプライドもある状態でした。
結局、かかりつけの病院が変わってその薬は無くなりました。
知り合いの息子さんが開業したためでした。しかし、既に遅かったと思います。
後で聞いた話ですが、
親父が嫁と電話で話した時に「何もやる気が無くなってしまった。あんな薬を飲まなければ良かったのかも知れない」と言ってたそうです。
意外と嫁には正直な気持ちをいろいろ話しているようでした。
電話だと誰に聞かれることも無いので話しやすかったのでしょう。
「もう、友達もみんな居なくなった」とも言ってたそうです。
現在、母親も眠れないと言います。
病院に一緒に行った時に聞きました。同じ病院の先生です。
40才過ぎると、段々と睡眠時間が減って来るそうです。
40才で8時間、50才で7時間・・・・80才で4時間。
朝早く起きてしまうなら、寝る時間を遅くするしかないそうです。
母親は昼間に「寝てない」と言い張ります。
実際には、たいてい昼寝をしています。一日中、テレビを見て座っていながら、寝ない人はきっといません。
病院の先生には、そんな状況を説明して軽い薬をお願いしてます。
※メモ
「眠れない」からと言って、薬に頼らない。先ずは運動だと思います。できる限り、安定剤、睡眠導入剤などの薬に頼らない方が良いと思います。