介護離職への道(01)老いは突然に
老いは突然に
親父は昭和7年生まれ。
新し物好きで興味のあることはお金を掛けてやってました。
こちらに戻って整理をしているといろんなものが出て来ました。いわゆる遺産品の整理になるでしょうか?
私も持ってなかった iPod、任天堂DS、ラジオサーバー、全く使って無いLAN接続の外付けハードディスクなどもありました。
Windows’95が普及しつつ、DELL が躍進し、日本ではソーテックが勢いありし頃です。
親父は、そのソーテックパソコンを買って以来、富士通のパソコン2~3台、エプソンのプリンタも2~3台、一太郎はずっと買い替えてました。
パソコンの初期設定は自分では出来なかったようですが、一太郎、会計ソフトの弥生、写真編集などは雑誌や本を見ながらやってました。ジャストシステムのソフトを使ってメールもやってました。
最後に使っていたデジカメはニコンのEOSを2台です。写真の整理でCD-Rを焼いて人にあげたりもしていました。
今現在、親戚の叔父・叔母、近所の65~75才くらい人でパソコンを使える人はいません。
そんな親父だったので、頭はしっかりしたまま体が衰えて行くのだろうと思ってました。
年老いた政治家のように頭はしっかりしているけど体力、食欲が落ちて痩せ老いていく老化のイメージでした。
私は、毎年2回くらい帰省していました。親父が83才の頃だと思います。
何の話の延長だったか、最近は信用金庫でお金を下ろしていると聞きました。少し前まで、年金の振込は地銀だったのに。
母親にあわせて信金に替えたと。その方がお金を引き出しやすいと。昔は小売店をしていました。
お祖父さんの頃から信金にはお世話になっていました。
しかし、お金を下ろすのに ATM を使うから関係ないだろうと、妙な違和感を感じました。
ひょっとしたら水道、電気などの引落口座は地銀のままではないかと。
さらに驚いたことに地銀の口座残高を全く把握していないようでした。単純に親父も酷く老いたのだと思っていました。
時間があれば引落しを信金に変更してあげたかったですが、帰省中の時間内では無理でした。
年金の振込先を元の地銀へ戻すしかありませんでした。
年金の振込手続きをするため、翌日に親父を連れて地銀に行きました。
残高のチェックもして、ついでに少しお金を引き出しに ATMへ連れて行きました。
そこでやっと分かりました。親父は ATMが使えなくなっていました。
ATM 使えない、使い方がわからない、そのため窓口でお金を下ろすために信金に変えたのです。
何故なら、信金の方が人が少なく、顔見知りの行員さんもいたからでした。ちなみに母親は前々から信金ですが、 ATMは使ったことがありません。
一応、親父にATMの使い方を教えて見ました。反応を見ていると無理だと感じました。
あのしっかりしていた親父がATMがわからない。
少し老いて来たかなと思ってましたが、受け答えも普通だったので、まだまだ大丈夫だと思っていました。
親父の老いが早く進んでいる、と言う実感は全くありませんでした。
このATMの件で急に実感が湧いて来ました。
80才くらいまでパソコン使ってた親父が・・・と、当時は涙目になってしまいました。
それ以降は帰省の度に、老いの進行を感じるようになりました。
それは、緩やかな線形ではなく、階段状にガック、ガックと下がって行く感じでした。
老いは意外と急に来るようです。
このATMの件あたりから、私が定年まで働くのは無理かなと漠然と考え始めていました。
※メモ
使えていたATMが使えなくなったら、認知症のチェックをした方が良いかも?